2018年12月のこと

 このアカウントを作ったのは、以下の記事にコメントを書くためでした。

MtFの女性専用スペースの利用について、ひとりのMtFが考えたこと - 帰ってきたみふ子の真夜中日記

 

それきり、使い道のないアカウントになっていたのですが、最近たまたま自分の書いた文章を読み返して、これは2018年当時の空気の記録になっているなと思い、せっかくだからこのアカウントでブログを作り、昔話をしていこうと思いました。

時系列やスクショ一覧なら、六帖さんとエンダーさんが作っている以下のリンクがすばらしいのですが、

トランスジェンダリズムDB

みんなで作るトランスジェンダリズム年表

 私自身の覚えているこまごまとしたことを、書き残そうと思いました。

まずは、上記のブログに書いたコメントをそのまま貼り付けます。

 

 

はじめまして。
おそらく、対立する側に立って議論を見ている者です。
現在の私個人の認識では、「埋没の人で加害する人はほとんどいない」「Tを自称して加害する者はごく一部であり、それは多数派ではない」「Tを自称して加害する人は、GIDの方にとっても脅威でしかない」と認識しており、また、私と意見の親しい人たちも、そのように認識していると思います。

女子大の件も、過激な声も、複数ありましたが、ニュースの時点では「支持する」という声や「具体的な制度や対応、基準を知りたい」という声の方が、私の目に入る限りでは圧倒的に多かったです。もちろん一部に存在した「過激」な声が当事者を傷つけたであろうことは想像できます。

どちらにも、過激な発言をする人はいます。過激な行動に出る人もいます。そうした「過激な一部」が全体であるかのように認識する人が双方向から多数出てきてしまっているのが現状ではないかと思っています。
また、ある過激な言葉への反発、反射、防御として出た言葉が、それだけを切り取られて批判されてしまうというのもあったと思います。これも、双方向で起きているように思います。


その上で、私の立場からの問題点は以下のようなものです。

1,実際に女風呂に入るアクティビストの問題
すでに他の方が指摘しているように、「ペニスがあっても女湯に」と主張する人、実際に入っている人がいます。そしてそれは、おそらく大多数のGIDとは別の層で、それをTの代表のように扱うのは間違っている。実際にGIDの人たちからも「一緒にしないでくれ」と声が上がっているし、本人も埋没GIDとの対立があるのを理解して、すでにブロックしていたりするので「そもそもそんな活動家知らない、一緒にしないでくれ」という声も多数見ました。

私が懸念しているのは、上記のアクティビストを擁護する人がアクティビストやアカデミシャンに多かった点です。
風呂関連の呟きの際、アカデミシャン、アクティビストで彼女を擁護する人が複数いた。アクティビストやアカデミシャンと親しくしている。
私は大学内のことを知りませんが、そうした経緯から、声の大きい人たちはこの過激な活動家の行動や主張を支持するのか?という不安が強くなりました。
見ていない、知らないのならともかく、見ていて、知っていて、その上でそちらに言及せずに「トランスフォビア」という言葉を持ち出すアカデミシャンや活動家への不信感が、非常に強くあります。
ツイッター上でこういった議論をしない、言及しないというスタンスで触れないのならともかく、一方は触れず、一方は批判するという様子に、「彼女の言動は支持されているのか?」という不安を抱きました。
「もっとエライ人が決めてよ」とありますが、この場合のエライ人とは誰なのか、そのエライ人の立場や認識は果たして当事者の意見を反映したものなのか。
GIDのコミュニティに対して非常に無知なため、私は誰がこういった制度設計に関わっているのか知りません。私がインターネットで目にするような一部の学者は、制度設計などに全くかかわらないのか。

また、アカデミシャンが言うときの「T」というのが、どこまでを含んでいるのかわからない点にも不安があります。
外から見ていて、埋没しているGIDと過激なT活動家は主張も行動も真逆に見えます。
私自身は、GIDとTを自称する活動家は完全に別のグループと認識して、後者を批判しています。
しかし、アカデミシャンや活動家の口にする「T」は、後者を、さらにはトランスヴェスタイトまでを内包しているのでは?と感じることが多く、そこにも混乱と不信感を抱いています。

繰り返しますが、「一部の過激な自称Tの発言」ではなく、「それをアカデミシャンや活動家が支持、擁護、黙認していたこと」に不安を覚えています。そしてそれを「あれはTではない」とするのではなく「T」に内包した上で擁護しているように見えた点も。
一部の発言を全体と思っているのではありません。T全体を排除したいのでも決してありません。

2、スポーツ選手の男女分けについて
私の認識している限りでは、炎上のきっかけは2回ありました。お茶大の件からの女子風呂。そしてその後の、「トランスしたMtFがスポーツの世界で上位を取っているという事実」。これはもちろん海外の例です。私自身一次データに当たってはいないのですが、このニュースを見たときに「男女の身体差はどこへ?」と感じた人は多かったです。(もちろん、シス男女だけでなく、Tと呼ばれる人たちからも懸念が上がっていました)
「身体性」という言葉が非常に強く出るようになったのは、この話題からだったと認識しています。
これもまた、支持するアカデミシャンがちらほらいるらしい。
海外のケースなので具体的にはわかりませんが、それはおかしいのではないのか、制度設計が狂っているのではないかという立場にいます。海外のケースではあるものの、世界大会などになれば日本も無関係ではありません。女の身体とは何だ?という声が一斉に高まりだしたのは、このあたりの問題があったと認識しています。


上記が、「こちら側」にいる人間から見た問題点、違和感です。
話が広がりすぎてしまっていて、私が上げたポイントとは違う点を問題視している人もいるでしょう。別の話題を挙げている人もいると思いますし、私が見落としている主張も反論もあると思います。
トイレ、風呂に関しては「トイレはパス度、風呂はオペ後というのが暗黙の了解」という当事者の声を拝見しましたし、ノントランス女性の多くも賛同しているように見えました。
(じゃあ男性っぽい女性はどうなる、といった声もありましたが、それもまたアカデミシャンの発言で見ましたし、私には混ぜっ返しているようにしか見えなかった。)

しかし、自分が見えている範囲、自分と意見の近い人の認識では、上記2点を問題としている人が多いように感じました。

上記のような理由でT全体を糾弾するのは間違っている。それは当然です。
T全体を糾弾したいのではない。排除したいのではない。
私自身は、アカデミシャン、活動家の態度、およびそれが世間に及ぼす影響の方を懸念しています。
制度などはそういった人たちが変えていくのではないのか?その制度、主張が変だと思ったら、それは批判せねばならないのではないのか?

最後になりましたが、問題点、すれ違いを理解するうえで、こちらのエントリは大変参考になりました。
コメント欄に長文を挙げてしまったご無礼、ご容赦ください。